富山大空襲から80年:語り継がれる戦争の記憶と3世代が紡ぐ平和への願い

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戦後80年を迎えた今、戦争を直接知らない私たちの世代が、かつて何があったのかをどう受け止め、語り継いでいくかが問われています。

そんな中、富山大空襲を経験した90歳の語り部・佐藤進さんと、その娘・西田亜希代さん、高校生の孫・西田七虹さんの親子3世代が、平和への想いを力強くつないでいます。

当記事では、3世代が歩む「戦争の記憶の継承」と「平和への願い」などについて深堀りします。

目次
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語り継ぐ使命

1945年8月2日未明、富山市にB‑29爆撃機174機以上が来襲し、50万発を超える焼夷弾が投下されました。

市街地は壊滅し、2700人以上の命が奪われました。

破壊率は99.5%にも及びました。

当時10歳だった佐藤進さんは、兄とともに川へ飛び込み生き延び、大人になってからは2001年に語り部活動を開始し、中学校や講演先で約280回もの体験を語ってきました。

この長年にわたる語り部としての取り組みは、地域の歴史を未来につなげる強い使命となっています。

次世代へのバトン

「戦争体験者が亡くなり、語る人も少なくなっている今、自分の住む都市の歴史を調べたり、体験談を聞ける人がいれば聞いてほしい。何かしたいと思ったら、どんな形でもいいから、とりあえずやってみてほしい」

高校生の西田七虹さんは、語り継ぎの第一歩を、身近な行動から始めてほしいと呼びかけます。

戦争を知らない世代だからこそ、新しい形で伝える責任と可能性を持っていると感じさせる言葉です。

亜希代さんの学びと覚悟

娘であり第二世代の語り部・西田亜希代さんは、「父が2001年から積み上げてきた活動を、ただ3年で引き継げたとは言えない。父が伝えたい本質をより深く学びたい」と語ります。

彼女が語り部を始めたきっかけは、ロシアによるウクライナ侵攻に触れたこと。

現代にも戦争は起こっており、「声を上げなければ」と強く感じたといいます。

こうした現代的な問題意識と父から受け継いだ重みを融合させて、彼女らしい伝え方を模索しています。

ネット上での反応と声

ネット上では、下記のような声が寄せられています。

・「なんて強い想いだろう…自分も地元の歴史をもっと知りたい

・「祖父母の話を記録しておけばよかった」

・「語り部の活動ってこんなに積み重ねが必要だったんだ…」

これらの声は、ネット上での平和への関心を育てる小さな火種となっています。

まとめ

戦後80年の節目に、富山で語り継がれる「3世代の語り部活動」は、ただ過去を思い起こすだけでなく、現代の人々への問いかけになっています。

「まず調べてみる」「話を聞いてみる」「伝えてみる」、そんな小さな一歩が、未来への平和への大きな一歩になり得ます。

語り継ぐことは、過去を記憶する行為であると同時に、未来の希望を築く行為でもあります。

この記事を読んだあなたにも、「自分の地域で何があったのか」を調べ、誰かに話してみるという、ささやかな行動を始めるキッカケになれば幸いです。

当記事は以上となります。

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この記事を書いた人

当サイトでは主に富山県内の話題をアップしています。

筆者は富山県出身&富山県在住。

Bリーグの富山グラウジーズを応援しています。

写真の撮影をしており、撮影の対象は選手やチア、綺麗な風景です。

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